2005年1月1日土曜日

慶応4年7月1日(1868年)土方と別行動の時の、新選組の動き




土方と別行動の時の、新選組の動き



慶応4年7月1日(1868年)


新選組、羽太村(西白河郡西郷村)から出陣。

再び白河奪還戦を試みるが、羽鳥村(岩瀬郡天栄村)まで敗走する。


羽鳥は、会津若松と白河を結ぶ街道の一つ「大平口」として要所の一つに数えられ、戊辰戦争の際には実際に兵が配置されていたそうな。

新政府軍(西軍)の侵略を警戒した会津藩からの命令を受け、羽鳥・湯本の村人達は集落に火を放ち、近隣の山々へ逃げ隠れたと言い伝えられている。この際に、ほぼすべての家屋が消失してしまったそうだ。

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